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輝く女性の「私が社長になったわけ」 vol.10 BeProudコンサルティング代表 大山淳氏  PAGE : 1/3 >

毎回輝く女性社長たちに注目し、そのルーツや輝いている秘密に迫るこのコーナー。
今回は番外編として、“いまもっとも輝いている”若手社長にスポットを当てます。

Today’s Guest

『淡路島カレー』を通じ、地都協業(地方と都市部の協業体制)という理想を追い続ける大山さん。そこには自らのルーツや経験を活かし、今の日本を元気にしたいという熱い想いと理想がありました。


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大山 淳 PROFILE

父はインド、母は奄美大島のハーフ。幼少より異文化交流に慣れ親しみ、世界と日本の食を追及。関西の大学を卒業後、大手コンサルティング会社にて300社・1000店舗以上、個人店から大手上場チェーンまで幅広く飲食店のコンサルティングを実施。そのノウハウを元に現在淡路島カレーを展開中。NPO法人淡路島活性化推進委員理事も務める。

淡路島カレーホームページ≫


夢ノートを書こう!

─30歳で独立しビープラウドを立ち上げられた大山さんですが、実は小さい頃から既に将来の夢が『経営者』だったと伺ったんですが?

大山 はい。ウチは父親が繊維の貿易会社を経営していてそんな父の姿を見ながら育ったので、無意識の内にそうなる事が当たり前なんだと考えるようになってましたね。サラリーマンの家庭に育った訳ではないので、誰かに雇われるという思考性自体がなかったのかもしれません。まぁ30歳で独立と言っても31歳になる10日前だったんですけどね(笑)

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─すごいですね!そのタイミングに何か意味はあるんですか?

大山 実は僕、昔から夢ノートというのをつけてましてそこには『将来自分が実現したい事』をバーっと思いつくまま書き連ねてるんですよ、実現までの期限も含めて。その中にドンと『30歳までに独立!』と書いちゃってたもんですから…(笑)

─それに従って独立されたんですか?すごい行動力ですね(笑)

大山 いやいや、もちろんそれだけじゃなくて他にもきっかけはありましたよ(笑)実はその時期にちょうどそれまで働いていた会社の部署がまるごと無くなっちゃう事になって…。

─それで独立を決意された?

大山 いえ、まだその時点では独立というより転職を考えてましたね。その時働いていたのも大手のコンサル会社で、僕は飲食店事業の担当だったんですが、退職を決意したことでその旨を担当していたクライアントさんに報告しに回ったんですよ。そしたらほぼすべてのクライアントさんにお叱りを受けちゃって…。

─どんな風に叱られたんですか?

大山 大半が『辞めるな!最後まで一緒にやろうぜ!』といった内容のものでしたね。中には『お前自身にやる気がまだあるなら、俺が会社に掛け合ってやる』とまで言ってくれるクライアントさんもいました。まぁお叱りというか、愛ある叱咤激励ですね。それで僕の中でも独立してやろうという決心が固まったんです。

─クライアントの方々にそこまで言わせてしまうとは、大山さんの人徳の大きさを感じますね。しかも結果として夢ノートに書かれた目標を期限内に実現させたことがスゴイと思います。

大山 やっぱり目標を何かの形にしておくこと、それに期限を決めて時々確認することはめちゃくちゃ大事だと思いますね。そうする事で無意識の内にその実現に向かって決断したり進んでいることもよくありますから。

─ちなみにその夢ノートには他にどんな事を書かれてるんですか?

大山 いや、基本的には私利私欲に走ったものが多いですよ。チラシを切り抜いてノートに貼り付けて“こんなマンションに住む”とか、“すごい美人と付き合う”とか(笑)


ルーツが育てた“日本人らしさ”

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─でもそういう野心というか、アクティブさを今の草食系男子たちは少し見習った方が良のかなと思いますよ(笑)
お父様はインドから仕事の関係で来日され、お母様と出会われたそうですが、そういったお父様の行動力を大山さんも受け継がれてるんじゃありませんか?

大山 あるかもしれませんね。でもウチの場合、母親もある意味すごい行動力のある人なんですよ。元々広告代理店で働いていてそこでクライアントだった父と出会ったんですけど、ある日会社をあっさり辞めちゃって、大阪万博のコンパニオンに転職しちゃったり。かと思うと10歳以上歳の離れた父といきなり国際結婚しちゃったり。もしかしたら僕の中のアクティブさとかプラス思考な部分は、そんな母親の血も受け継いでいるかもしれませんね。

─当時はまだまだ国際結婚も珍しい時期ですよね?色々と障害も多かったのでは?

大山 だと思います。母は奄美大島の出身で、当時はまだまだ都会に比べて閉鎖的な考えが強かったみたいですから。ただ、そういう状況でも自らの意思を貫いた父と母に育てられた事で、小さい頃から発想を“外に向ける”ことが出来たというか、あまり固定観念にとらわれないという考え方が自然と育った気がします。

─大山さんご自身もハーフという事で思春期には様々な葛藤など経験されたそうですが?

大山 はい。小・中学校の時はいじめられていると感じる事もありました。と言っても今思うと相手側としてもいじめている様な感覚はなかったのかもしれませんが、目の色であったり容姿については色々と言われましたね。周りから見ると外国人の風貌である僕が、日本人である事に違和感を感じていたみたいです。でも僕自身は生まれも育ちもずっと日本ですし、もちろん日本人として育っていたので「どうしてそんな風に思われるんだろう」という気持ちはずっとありましたね。ただ、その経験によって逆に『日本人はこうあるべきだ』という理想の日本人像をイメージしたり、そこに近づこうという意識はむしろ強くなっていったと思います。

─インタビュー前の打ち合わせで、ビープラウドの他のスタッフの方にも色々お話伺ったのですが、皆さんとても個性的だなと感じました。そんな個性的なメンバーを束ねて共に進んでいける懐の深さなどは、そういったご自身の経験が活きてるのではありませんか?

大山 懐が深いかどうかはわからないですけど(笑)そういう経験というかルーツが、今回の淡路島カレープロジェクト等を通じて日本という国をもっと良くしたいという想いにつながっていった部分はあるかもしれませんね。



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